■保命酒の誕生■

万治二年(1659年)大阪の漢方医であった「中村家」の子息中村吉兵衛氏によって、当時備後鞆の津で醸されていた「吉備の旨酒(現在の味醂酒に準ずる)」に、中国産の生薬を浸け込んで造られた薬酒でした。

中村家は鎖国の時代、唯一他国に開かれていた港(長崎の出島)に薬草の買付けに船で向かいます。大阪より出航し出島までの往来の際、潮待ち港である鞆の津に立ち寄る機会がありました。そこでこの地方(備後)の地酒「吉備の旨酒」に出会い、手持ちの生薬を配し生まれたのが保命酒。以来、現太田家住宅の場所で「十六味地黄保命酒」として醸造を始めました。

■地の利■
保命酒は江戸時代、海上交通の拠点であった「備後鞆の津」より、譜代福山藩の庇護の下、全国に発信されました。鞆の浦は瀬戸内海の中心に位置し、万葉の時代より「潮待ち港」として栄えた土地。北前船も立ち寄るなど、商業港として栄えました。開かれた港として、外国の施設「朝鮮通信師」や「琉球使節」等も必ず立ち寄った海上交通の拠点で有った場所です。
■ペリーと保命酒■
保命酒は「福山藩主阿部伊勢守正弘公」により、禁裏幕府への献上品となり、諸大名間の贈答用や参勤交代にも多く用いられるようになりました。

幕末には、黒船のペリー提督や初代領事ハリスらに幕府接待酒として『保命酒』は出されております。その際、宴席では保命酒が話題をさらってしまったと記録に残っております。
■高品位の味醂(みりん)造りがすべての基本■
保命酒の醸造工程において一番大事なことは、ベースとなる良質の味醂(みりん)を造ることです。麹の酵素力に依って米の旨みを十分採りだす事で、米由来の甘味や多アミノ酸が味醂(みりん)の中に十分に得られます。この工程により、甘みは浸透圧でエキスを採り易くし、旨み成分である米由来のアミノ酸はコクを与えてくれるばかりでなく、くさみ消しとしても働いてくれます。先人の知恵によって育まれた保命酒の伝統的な醸造方法です。
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