万治二年(1659年)大阪の漢方医であった「中村家」の子息中村吉兵衛氏によって、当時備後鞆の津で醸されていた「吉備の旨酒(現在の味醂酒に準ずる)」に、中国産の生薬を浸け込んで造られた薬酒でした。
中村家は鎖国の時代、唯一他国に開かれていた港(長崎の出島)に薬草の買付けに船で向かいます。大阪より出航し出島までの往来の際、潮待ち港である鞆の津に立ち寄る機会がありました。そこでこの地方(備後)の地酒「吉備の旨酒」に出会い、手持ちの生薬を配し生まれたのが保命酒。以来、現太田家住宅の場所で「十六味地黄保命酒」として醸造を始めました。