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中村家より受け継いだ、伝統と味

 江戸時代、独占した製造販売の許可をもらっていたのは最初に保命酒を造った中村家だけであります。
 保命酒は万治2年(1659年)大阪の漢方医であった中村吉兵衛氏によって、元々この地で醸されていた「吉備の旨酒(現在の味醂酒に準ずる)」に生薬16種を漬け込み作られた薬酒でした。
 その伝統の技を受け継いだのが、当時中村家と懇意にしていた岡本亀太郎です。岡本家は道具一式を譲り受け、保命酒の醸造に本格的に乗り出しました。
店内に鎮座する『大きな龍の看板』も、当時中村家から譲り受けた由緒正しい看板です。

中村家より受け継いだ、伝統と味

 岡本亀太郎本店の蔵元直営店舗は、かつて福山城内にあった長屋門です。
 明治六年(1873年)廃城となり民間払い下げを行っていた福山城内の建物の一部を譲り受け、海路を船により運び、現在の地に移設されました。
 門扉や門構えは城内の長屋門としての形式を良く残しており、材質(けやき)・規模より考察して、江戸時代初期の福山城郭内の遺構として貴重な建物であるとして、福山市の重要文化財に指定されています。⇒福山市HP

保命酒の歴史
 安政2年(1855年)当時藩が発行する「酒造株」を得て、清酒業で業を起こしました。
 明治に入り「初代岡本亀太郎」の時代に、徐々に保命酒業に転業し保命酒の醸造販売の基礎を築き現在に至ります。
 日本古来の酒文化を大事にし伝統を今に伝えております。

温故知新
 1855年の創業から150年余り。衛生管理の徹底は時代の要求でもあります。そのためにも安定的に供給できるよう、衛生的かつ高品質な商品作りを新しい醸造技術を取り入れつつ追求してまいりました。
 元祖保命酒屋中村家の時代から引き継ぐ伝統と温故知新の精神は、鞆の浦の風景と同様、これからも変わることなく受け継いで参ります。

和を以て貴しと為す
 お酒の醸造の世界は「和をもって貴しとなす」なによりコミュニケーションが重要です。醸造環境が進歩した現在でも職人同士の息の合った共同作業があって初めて満足のいく『保命酒』が誕生します。
 代々受け継いだ保命酒は大樹の幹。高品位の保命酒造りが基本です。その上で責任を持てる範囲で「大手がまねできない」オリジナルティーを追求し、伝統の上に創造を加味した新しい保命酒を探求して参ります。


 以下の写真は、現在の渇ェ本亀太郎本店の前進「鞆保命酒合資会社」の頃のもの。当時本店は城山北(現江之浦北部)にあり、清酒・粕取り焼酎・ 味醂・保命酒他を造っておりました。現在の本店は当時、米蔵 兼  出荷場として使用されておりました。大正末期には全国有数の酒造メーカーで 有った様で、福山市を流れる芦田川の河川敷に新式焼酎蔵を建造、後に宝酒造へ売却されるも宝団地と言う地名は今も残っております。現在では 1店舗と成ってしまいましたが、本店の屋号はこれに由来しております。


▲旧岡本家本宅。
 現在は新しい町並みになっていますが、当時はまだ道も舗装されておりませんでした。

▲岡本家本宅正面。
 2階に中村家より譲り受けた「龍の看板」を掲げた写真。現在は、本店店舗内に鎮座。


▲上槽風景・・?
 奥に蒸気が見え、湯を沸かしています。手前は舟(酒の搾り機)、蔵人は皆統一の白い作業衣。

▲荷造り風景。
 丹精こめて造ったお酒たちを荷造りして、嫁入りさせます。


▲保命酒の出荷風景。
 現本店のすぐ南。現在少し埋立てられており、丁度写真を撮っている辺りが現在の護岸です。
 昔は舟で保命酒を出荷していた様子が良くわかります。


 

 

 


▲「福山城東長屋門遺構」。
 まだ門戸が正面に据えられていた頃の貴重な写真です。