保命酒とは

     
       
薬味

潮待ちの港で
育まれ、時を刻む
薬味酒

保命酒とは

16種類の薬味をみりんに
漬け込んだ薬味酒

岡本亀太郎本店の保命酒は、桂皮などの薬味十六種を味醂酒に漬け込み、じっくりと成分を浸出させて造る薬味酒(和製リキュール)です。

健康や美容にも良いと言われるアミノ酸を多く含んだ、100%自社醸造の濃厚な本味醂に、薬味をじっくり漬け込みますので、本味醂本来のお米の甘味と薬味の香りのバランスに優れた、まろやかな味わいをお楽しみ頂けます。

ストレートのほか、オンザロックやホットミルク割り、焼酎などの蒸留酒と合わせてカクテルでも。お好みの飲み方でお楽しみいただけます。

保命酒の歴史

中村製保命酒の誕生

万治二年(1659年)、大阪の漢方医「中村家」の子息である中村吉兵衛氏によって、当時備後鞆の津で醸されていた「吉備の旨酒(現在の味醂酒に準ずる)」に、大陸産の薬味を漬け込んで造られたのが、保命酒の始まりです。

中村家は、鎖国の時代にあって唯一開かれていた長崎の出島に、薬味の買い付けに船で向かいます。大阪より出航し出島までの往来の際、潮待ち港である鞆の津に立ち寄る機会がありました。そこで「吉備の旨酒」に出会い、手持ちの薬味を配し生まれたのが保命酒なのです。以来、現在の太田家住宅の場所で「十六味地黄保命酒」として醸造を始めました。

現太田家住宅(国重文)

現太田家住宅(国重文)

360年続く健康酒としての歴史

現代のように食文化が豊かでない時代において、保命酒の持つ甘味と薬味は貴重なものとされていました。
江戸時代、福山藩は代々保命酒を御用酒としていたことから、備後を代表する特産品の一つとして、大名や豪商相手に高値で売買されていました。

16種類の薬味

16種類の薬味

歴史的・地理的背景

保命酒は江戸時代、海上交通の拠点であった「備後鞆の津」より、譜代福山藩の庇護の下、全国に発信されました。
鞆の浦は瀬戸内海の中心に位置し、万葉の時代より「潮待ち港」として栄えた土地で、北前船も立ち寄るなど、商業港として栄えました。また、外国の使節「朝鮮通信使」や「琉球使節」なども必ず立ち寄った、海上交通の拠点であった場所なのです。
同時に、譜代福山藩の庇護を得るということで、幕府のお墨付きを獲た事となり、これは、長い時代を経て現代まで保命酒が生き残ってきた理由の一つと言えます。

ペリーと保命酒

ペリー像:下田了仙寺所蔵

ペリー像:下田了仙寺所蔵

保命酒は「福山藩主阿部伊勢守正弘公」により禁裏幕府への献上品となり、諸大名間の贈答用や参勤交代にも多く用いられるようになりました。

黒船ペリー来航の際、老中首座であり福山藩主でもあった阿部正弘公は、ペリー提督や初代領事ハリスらに幕府接待酒として『保命酒』を使用しました。その際の記録が、静岡県伊豆の国市で幕末の貴重な史料を所蔵する江川文庫の「下田御用日記」を収めた本「江川坦庵全集別巻」に残っております。

岡本亀太郎本店の歴史

酒造りの始まり

安政二年(1855年)に、当時の藩が発行する酒造株を得て、清酒業で生業を起こしました。

1855年酒造株
龍看板

中村家より受け継いだ伝統

江戸時代、保命酒の独占した製造販売の許可を得ていたのは、最初に保命酒を造った中村家だけでした。

岡本家は、その最中である安政二年に清酒業で生業を起こした後に明治時代を迎え、専売の解かれた保命酒造りにも携わるようになります。

明治の後期になると、元祖である中村家が保命酒業の暖簾を下ろされることとなり、かねてより懇意にさせて頂いていた岡本家が、中村家伝統の看板と道具一式を譲り受けて今に至ります。

左の画像は、現在の弊社直営店舗内に鎮座している「龍に守られた保命酒の大看板」で、その当時に中村家から譲り受けた、由緒ある看板です。

明治期の岡本保命酒(鞆保命酒合資会社)

以下の写真は、現在の㈱岡本亀太郎本店の前進「鞆保命酒合資会社」の頃のものです。当時本店は城山北(現江之浦北部)にあり、清酒・粕取り焼酎・ 味醂・保命酒他を造っておりました。現在の本店は当時、米蔵 兼  出荷場として使用されておりました。大正末期には全国有数の酒造メーカーで 有った様で、福山市を流れる芦田川の河川敷に新式焼酎蔵を建造、後に宝酒造へ売却されるも宝団地と言う地名は今も残っております。現在では 1店舗と成ってしまいましたが、本店の屋号はこれに由来しております。

明治期の岡本保命酒

店舗は市重文
「岡本家長屋門」

岡本亀太郎本店の蔵元直営店舗は、かつて福山城内にあった長屋門です。
明治六年(1873年)廃城となり民間払い下げを行っていた福山城内の建物の一部を譲り受け、海路を船により運び、現在の地に移設されました。
門扉や門構えは城内の長屋門としての形式を良く残しており、材質(けやき)・規模より考察して、江戸時代初期の福山城郭内の遺構として貴重な建物であるとして、福山市の重要文化財に指定されています。

店舗外観

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